たとえば非正規雇用の若者。「居場所」がない人が宗教を求める
坐禅で「悟り」は開けない その二
自由競争によって居場所がなくなる…
大きな会社に勤めて、家庭的にも恵まれていような人がそう言う。「寄る辺がない」「何も頼りにならない」と訴えた初老の男性もいました。
そうです。我々は今や、バブルの頃までは持っていたであろう、漠然とした「安心感」、人や社会に対する「信頼感」を失っているのです。
最近私が出会った20歳代の人々は、ほとんどが非正規社員かアルバイトの人でした。半年後の職が保証されていなかった人も少なくありません。しかも、「非正規」であるのは、努力不足や能力不足、つまり「自己責任」で片づかないケースがたくさんあるのです。
たとえば、幼児期の虐待などで、本来頼りなるべき家族との関係に致命的なダメージを負っていたら、人生のスタートラインに自ら立つ力さえ失われてしまうでしょう。
「自己決定」と「自己責任」が強調され、「自由競争」こそ社会の道理だという主張が声高になれば、重病の人、高齢の人、障害のある人、それを介護する人の立場は、次第に切り詰められ、追い詰められていきます。